「聖徳太子の地球儀」「水晶髑髏の謎」「チャップリンの映画で携帯電話を持っている女性」
等々。
技術的にも時代背景的にもその時代にあるはずもないものが存在している・・・。
いわゆる「タイムトラベラー」や「オーパーツ」「預言者」の謎はいつの時代も人々の興味を引き付けています。
同様に約180年前の絵師、歌川国芳の絵には「スカイツリー」が描かれている!
このミステリーは、オカルト好きな人々の間では有名な話ですね。
その場所の検証!スカイツリーは予知されていたのか?などを確かめていきたいと思います。
歌川国芳の「スカイツリー」
歌川国芳「相馬の古内裏(1845年頃)」
美術の教科書にも載っている、がしゃ髑髏という妖怪の絵です。
歌川国芳は斬新なデザインと奇抜なアイデアで、江戸時代の天才絵師として名をはせました。
そんな歌川国芳が「予知?」「タイムスリッパー?」と騒がれ始めたのはスカイツリーが完成した直後の2011年、東京新聞の記事からです。
噂になったのは「東都三つ又の図(とうとみつまたのず)」という作品。
この絵が描かれたのは1831年。
現在(2017年)から186年も昔の作品です。これは、大工たちが船の腐食防止のために船底を煙でいぶしているシーンを描いたものですが・・・。
バックに広がる墨田川の左の対岸を見てみると・・・・
何やら塔のようなものが2つ立っています。低いほうは江戸の火事を見張る「火の見櫓(ひのみやぐら)」だとわかりますが・・・
江戸の火の見櫓。
高いほうが「スカイツリー」と噂されているもの。
東京スカイツリー。
二つの「スカイツリー」を並べてみました。
う~ん確かにちょっと似ているような?でもふくらみの数が違いますよね。それに若干スカスカな気が・・・。
それにしてもこの建造物、手前に書かれている蔵や屋敷と比較するとめっちゃでかい!手前の建物が4~5mだとすると・・・およそ10倍。
40mほどに見えます!
現在のスカイツリーとの位置関係
では、歌川国芳の「スカイツリー」と現在のスカイツリーの位置関係はどうなっているのでしょうか?
スカイツリーの位置と、歌川国芳が絵を描いた位置を江戸時代の地図で見ると・・・国芳は隅田川の中州から絵を描いたと言われています。
Googleアースで隅田川にかかる永代橋からスカイツリーを見ると・・・。
こんな感じ。
遠近感は近い?でも川との位置関係が違いますね。
ところで「スカイツリー?」の横の「火の見櫓」ですが、上ノ橋・中ノ橋・下ノ橋の間に立っていたいたそうです。
という事は・・・。
江戸の地図と比べると、火の見櫓と「スカイツリー」が結構離れていますね!
それに「三つ又の図」ではスカイツリーの位置がだいぶ南になってしまいます。
もし実際こんなに離れている2塔を書いたのだとしたらこんなに並んでいるようには描かないと思うのです・・・。
「スカイツリー?」の正体は
このような風景画で、全くありもしないものをわざわざ書くことはないでしょうから、実際「スカイツリー(仮)」は存在したと思われます笑
そしてそれはやはり火の見櫓の近くに立っていたのだと素直に解釈してみます。
江戸の火の見櫓の高さは3丈(約9m)と決められていました。隣の「スカイツリー」は火の見櫓の2倍の高さがあるので、およそ18m?ではないでしょうか。
周りの建物から推測した「40m」よりは現実的な数値ですよね。
おそらく全体の構図のために誇張して描かれたため、周りの建物よりずっと大きく見えるのではないかと思われます。
約18mの塔。実はこの高さの建造物で当てはまるものに「井戸掘りの櫓」があるのです。
井戸掘りの櫓はおよそ20mでした。
実は歌川国芳自身が書いた作品にも、「井戸掘りの櫓」の絵が残されています。
おお!このナナメにひし形っぽく組まれた材木!
似ていますね!だいぶ縦長に見えますが・・・。これは絵の手法として横の縮図をググッと縮めて描いてある説が有力です。
隣の火の見櫓も、実際より縦長に描かれています。
火の見櫓に合わせて縦横比を変えるとこんな感じ。
まさに井戸掘りの櫓ではありませんか!
というわけで、歌川国芳の「スカイツリー?」は「井戸堀りの櫓」であると思われます!
江戸は井戸を掘っても塩水が出るばかりだと言われています。
おそらくこの櫓は、うーんと深い井戸を掘るために作られたものでしょうね。
火事を見張る火の見櫓と、水を出す井戸掘り櫓。
そうやって見ると当時の人々の奮闘ぶりを垣間見ることのできる作品だと感じます♪