2008年のリーマンショック以降需要がうなぎのぼりの豆苗。
そんな豆苗生産のナンバーワン企業が村上清貴氏が社長を務める村上農園です。
ここではそんな村上清貴氏の経歴や年収などのプロフィール、村上農園の評判や株価も調査していこうと思います。
村上清貴氏の経歴や年収などのプロフィール
それでは早速見てみましょう。
村上清貴氏の経歴
村上 清貴(むらかみ きよたか)
生年月日 :1960年7月生まれ 2019年5月現在58歳
出身 :山口県熊毛郡熊毛町 (現周南市)
最終学歴 :広島大学総合科学部卒
高校時代は国立大医学部への進学を目指していたものの周囲が出来るコばかりで疲れ果てたそう。
そこで大学は広島大学総合科学部へ。
理系の学部だったものの文系の社会文化コースを選び発展途上国論を学んだそう。
1983年㈱リクルートに入社。法人営業、商品開発などを経験、営業課長、マーケティング企画課長などを歴任。
若い間に様々な重要ポストを経験されているんですね。
課長まで経験されているのでかなり早い出世だったと思われます。
1993年に先代社長であり母親の従兄弟である村上秋人氏に請われて村上農園に入社しました。
この時33歳、。
2007年に社長に就任。
となっています。
大学時代には先代社長宅である叔父の村上家から大学に通っていたり、村上農園で運搬作業のバイトをしていたという縁もあるのでしょうね。
そんな先代”村上秋人”氏に誘われたことで入社したようです。
ちなみに先代社長は母のいとこということで村上清貴社長は以前は『田村』という性だったのだそうです。
ですが2007年、先代が倒れた際に養子縁組して改姓し現在の『村上』性にし、そのタイミングで社長に就任したのだそう。
現在年商100億円を突破(ここ5年で2倍)、2025年には売上高300億円、2035年には年商1,000億円を目指すということで海外にも目を向け販路を拡大していくのだとか。
これからどこまでその業績が伸びていくかとても興味深いですね。
ちなみに村上清貴社長はご結婚されていて3人の娘さんがいらっしゃるようです。
村上清貴社長の年収は?
そこで気になるのが社長の年収ですよね。
ということは・・・!?
と思ってしまいますが、こんなデータも
このようなデータもあります。
これは社長ではなくあくまで役員報酬の平均値です。
従業員数や設備の規模などによって大きく変わってしまうため正直予想はかなりし辛いところであります。
しかし社長の手腕で会社が大きな売上を上げ様々なメディアで取り上げられるようになっているなどその功績はとても大きいので”一般的な社長”よりは年収が高いのではないか?
と想像できますね。
村上農園の年収
そんな村上農園の職員の年収ですが、職種やスキルによって大きく変わります。
植物工場の運営管理、技術開発など経験者で400〜700万円
生産管理であれば550〜750万円
・そしてアルバイトの場合
山梨の工場での一般事務であれば時給 860円
静岡県焼津の梱包・仕分け・ピッキング業務であれば時給880円~¥1,000
といったカタチです。
働き方で年収は変わってきますので参考までに。
村上農園は上場している?その株価が気になる!
そんな業績うなぎ登りの企業であれば株価もさぞ急上昇しているのか?と思い調査してみたところ・・・。
現在村上農園はまだ上場しておらず株価もないようでした。
よって株の購入は現段階では出来ないと言えます。
倒産寸前だったO-157騒動とは?
カイワレダイコンのみを作っていた当時の村上農園。
1996年7月、大阪府堺市で児童が食中毒症状を訴え、患者が2000超にまで拡大(※最終的な累計患者数は9523人)、入院患者は791人になるという事件が起こりました。
そこで給食に使われていた『カイワレダイコン』が疑われ出荷量が激減。
なんと厚生労働省が発表した”確かでない情報”で大きな打撃を受けたのでした。
信用回復のために努力を重ね徐々に出荷量が戻った翌年、愛知と神奈川の一般家庭でで食中毒が発生。
かいわれ大根からO-157が検出されたのでした。
(しかしよく調べてみると、結局O-157にカイワレ大根が原因ではないことが分かったそう。)
しかしその数年前から試験栽培を初めていた『豆苗』や新たに開発した『クレス』や『ブロッコリースプラウト』などの新商品の販売などで経営を巻き返したのだそう。
そして当時乗務だった村上清貴がそんな新商品の開発など再建の指揮を取っていたということだったのです。
まとめ
今回は村上清貴社長、そして村上農園について色々調査してきました。
逆境をバネに発送の転換でチャンスに買える力が凄い社長ですね。
どこまで先が見えているのか、その向こうにある未来は日本にとっても明るいものであると期待が高まりますね。