「アジアのユダヤ人」ロビンギャへの迫害はなぜ起こるのか?その理由とは

近年、シリア難民のヨーロッパ流出が日本でも多くのニュースで取り上げられました。しかし難民問題はシリアに限ったことではありません。

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ミャンマーの少数民族ロヒンギャもまた、迫害を逃れる難民として国際問題化しているのです。また、行き場のないロヒンギャを逆手に取った難民ビジネスも問題となっています。

「アジアのユダヤ人」とも評されるロヒンギャたち。迫害や難民問題はどのように生まれたのでしょうか。
その理由を分かりやすく説明していきます。

ロヒンギャとは何者なのか?迫害の理由は?

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なぜロヒンギャはミャンマーの政府軍や民間の仏教徒に迫害されるのでしょうか?

もともとロヒンギャは主に3つのルートからやってきた人々だと言われています。

  1. ミャウー王朝時代(15世紀前半から18世紀後半頃)からラカイン州にいたムスリムたち
  2. イギリス植民地時代(1824年〜1937年)に(バングラディシュの)チッタゴンからラカインに来たムスリムたち
  3. 世界大戦後に東パキスタンから飢えを逃れてラカインにやってきたムスリムたち。

 

もともとムスリム(イスラム教徒)のロヒンギャ仏教徒のビルマ人はそれなりに平和に暮らしていました。

しかし↑2の英国植民地時代、英国がチッタゴンから来たムスリムにラカイン州の土地をあてがったことからラカイン州の仏教徒との軋轢を生みました

その後日本がビルマを占領(1942年)すると、奪還のために英国はムスリムに武装させ日本軍率いるラカイン州の仏教徒と戦わせました。
これが後に激しい宗教戦争へと発展していきます!!

戦争が終わると、ラカイン州はビルマ内戦の中、統治されずに残りました
そこに東パキスタンから飢えを逃れてムスリムたちが流れてきました。
これもまた、ロヒンギャと現地の仏教徒との対立を更に深めたのです。

上記の歴史から、ミャンマー政府は「ロヒンギャはベンガル(バングラデシュ)からの不法侵入者だ」という姿勢を崩さずにいます。

また、バングラデシュも「ロヒンギャはミャンマーからの難民」として認識し、自国民とは認めていません

そしてロヒンギャはビルマ人に比べ、肌が浅黒いこと。
ビルマ語が流暢でなくチッタゴン方言に似た言葉を話すこと。
ロヒンギャが保守的なムスリムであることが一層「よそもの」としての差別に拍車をかけています

ロヒンギャの問題は、しばしば民族対立・宗教対立として扱われますが、本質はもっと土地と文化と外的な要因が複雑に絡み合って生まれた迫害問題だと言えるでしょう。

2015年、
ミャンマーでは国民民主連盟のアウンサンスーチー氏が政権を取り、長い軍事政権が終わりを迎えました。
民主化の道を歩き始めたミャンマーにとって、ロヒンギャの問題は重くのしかかってきます。
現在、ラカイン州に住むロヒンギャには選挙権もありません。

ロヒンギャ苦難の歴史

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http://www.iza.ne.jp/topics/world/world-6987-m.html

この問題がクローズアップされるきっかけは2012年

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ベンガル湾沿いのラカイン州で、ムスリムのロヒンギャと、仏教徒であるアラカン族との激しい対立が起こりました。
これにより200人ほどが殺害されましたがそのほとんどがロヒンギャでした。
このことから、実際はほとんど一方的な「迫害」であったと思われます。

このような対立と迫害を遡ると

1960年代、東パキスタンから流れてきたロヒンギャに対するビルマ政府の排斥の動きから始まっています。

ロヒンギャは1982年の国籍法によって国籍をはく奪され無国籍になりました。
財産は没収され、居住や国内の移動、職業、医療を制限され、逆らえば投獄されました。

更に1988年ロヒンギャはアウンサンスーチー氏を支持したことでビルマ軍から襲撃・迫害を受け、強制労働にかけられました

ミャンマーで居場所を失ったロヒンギャは1992年に28万人もの難民となってバングラデシュを目指しました。
しかし国際保護も間に合わず10000人ほどのロヒンギャは死亡し、難民キャンプでは100人規模の子供が疫病や飢えで亡くなりました。
現在も2万人ほどのロヒンギャがバングラデシュの難民キャンプで生活しています。

1992年以降、バングラデシュとミャンマーは国境警備隊を強化。
難民たちはこれを避けるため、ベンガル湾を超える海上ルートでタイやマレーシアを目指すようになります。

2009年、タイの沿岸に漂着したロヒンギャたちを、タイの県警が暴行し無理やりボートに詰め込んで外洋に放り出すという対応が問題になりました。
この時インド洋で保護された400人以上のロヒンギャたちは、飢えで死にかけていました。

2016年10月場所はラカイン州、バングラデシュとの国境付近でロヒンギャの武装集団に国境警備隊が襲われたのをきっかけに制圧を開始し、ミャンマー政府により数百人に上るロヒンギャが殺されました
国際人権保護団体は、軍は殺人、強姦、略奪、村の焼き討ちなどの迫害を行っていると批判しましたが、政府はあくまで「テロリスト掃討」だという姿勢を崩していません。

 

「漂流民族」になったロヒンギャ

 

2015年5月、ベンガル湾を漂流するロヒンギャ難民の「ボート・ピープル」が激増し、同時にロヒンギャへの迫害も表面化して大きな国際問題となりました。
ロヒンギャはミャンマー軍からの暴行や略奪から逃れるために難民になって船に乗り国外流出しています

そこに目を付けた人身売買業者は、国外逃亡したいロヒンギャたちを集めて船に乗せ、身代金を要求、または企業相手に売買して莫大な利益を上げていました

しかし2015年5月タイで数百人のロヒンギャらの遺体が発見されたことで、タイ政府は人身売買の取り締まりを強化して業者を摘発しました。

タイ政府の摘発を恐れた人身売買業者らは、ロヒンギャ難民を乗せた船をベンガル湾に放置して逃亡。
ロヒンギャはタイやマレーシア・インドネシアなどの周辺国から入国を拒否され、およそ3000人がベンガル湾を漂流する羽目になってしまいました。

この事件をあるジャーナリストは
ナチスから逃れるためにセントルイス号に乗り込んだユダヤ人たちは、目的地のキューバやカナダから入局を拒否され、ドイツに戻されました。
そして乗客の4分の1が収容所で殺されたのです。
↑のよな「まるでユダヤ人を乗せたセントルイス号のようだ」と評しました。

「ボート・ピープル」問題は2017年の現在でも根本的な解決には至っていません。

 まとめ

限りある土地、そこで起こる宗教戦争からおこる歪みがこの難民問題に繋がってきていると言えます。

無国籍のまま世界に置き去りにされ漂流するロヒンギャたち。
現在ロヒンギャの中でも一部、過激派がテロ組織化するなどし、迫害によって仏教徒およびミャンマー政府との溝はより深くなってしまっています。

そんな彼らに救いの手を差し伸べるよう国際社会は取り組みを始めていますが、解決まではまだ永い時間と多くの犠牲が出てしまうのではないかと思うと胸が苦しくなります。

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