中野サンプラザ解体はなぜ?いつから?中野サンプラザの歴史とともに探る!

東京は中野区のランドマークである中野サンプラザ。
2012年6月に再整備による解体、大型大型の集客交流施設として生まれ変わる予定であることが発表されました。
長く親しまれてきた「中野サンプラザ」の解体発表にtwitterなどのSNSでは惜しむ声やショックの声が数多く聞かれました。

はたして解体はいつからなのでしょうか?理由やサンプラザのこれまでの歩みと共に考察してみました。

解体はいつから?

東京都中野区の公開している整備実施の目標スケジュールによると

平成29年(2017年)再整備事業計画の策定
平成30年(2018年)基礎整備事業着手
平成34年(2022年)新庁舎移転後、従前建物の解体除去・施設整備着手
平成37年(2025年)竣工予定

というわけで解体は東京オリンピック後、平成34年(2022年)からのようです。

ただ目標スケジュールなので、多少早まったり遅くなったりするかもしれませんね。
中野区役所の新庁舎への移転が済んだらいよいよ解体!と考えておくといいかもしれません。

そして完成は平成34年(2025年)ということで、新しく生まれ変わった中野サンプラザに会えるのは、8年後となりそうです。

解体の理由

b247365d8cd03330451c9443c406b4a4

出典:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/f7/b247365d8cd03330451c9443c406b4a4.jpg

中野サンプラザですが現在は座席数2222席のコンサート・イベント会場ですが、リニューアルされると、約1万収容の人規模なアリーナ会場に生まれ変わる予定です。

なぜリニューアルされるのでしょうか?
中野区は、中野サンプラザ・区役所地域の再整備事業で中野駅周辺を東京都の新たなエネルギーの活動拠点にすることを目指しています。

現在の中野サンプラザのホールは「プロセミアム型」という、前面にステージがあり客席からみるとステージが額縁のように見える形です。
多くの劇場で使われている型で、中野サンプラザでも歌謡ショーやロック、アイドルのコンサートなどに使われていきました。
けれどもこの形態ではスポーツ会場や展示会場としては使えません

そこで客席が会場をぐるっと囲む「アリーナ型」に建て直し、例えばフットサルやサッカーの会場、国際展示場、ファッションショーなど様々な用途に使えるようにする計画なのだそうです。
1万人規模といえば、日本武道館と同程度。かなり大きな施設になりそうですね!

かつては「犬屋敷」?サンプラザの歴史

image3

江戸時代、中野駅周辺は徳川綱吉の生類憐みの令によって「犬屋敷」が設立された場所でした。

当時、中野周辺には8万頭もの犬がいたそうです!
中野区役所前には「犬屋敷」であったことを示す犬の像がありますね。
そして戦前になると陸軍中野学校が置かれ、戦後は警察大学校ができました。

その後広大な遊休地となった中野駅周辺ですが、昭和48年中野サンプラザの前身である「全国勤労青少年会館」設立されました。その後、勤労福祉施設の廃止、民営化に伴い今の名称である「中野サンプラザ」へと変わりました。

会館以来、様々な音楽活動の場として親しまれてきた「中野サンプラザ」。
山下達郎をはじめとする数多くのアーティストや歌手、モーニング娘。℃-uteなど、ハロープロジェクトの公演が多数行われることから「音楽の殿堂」「アイドルの聖地」と呼ばれています。

また、2000人規模のホールは客席とステージの距離が比較的近く、一番後ろの席でも肉眼で舞台を見ることができ好きなアーティストを身近に感じられる大きさです。

 
また、中野サンプラザは同施設にホテルも備え、駅近くで交通の便もよく、またホールの中でも飲食が可能な珍しい会場であることから根強いフアンも多いようですね。

 

 

大規模アリーナへと変貌を遂げる予定の中野サンプラザ。

馴染みのある三角形の建物が失われるのはちょっと寂しいですが、新しい施設も気になるところですね。

関連記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です