筒美京平の家族・息子は?アニソンなど代表曲やゴーストライターの存在も調査した!

筒美京平の家族・息子は?アニソンなど代表曲やゴーストライターの存在も調査した!

昭和〜平成を股にかけて活躍してきた作曲家「筒美京平」さん。

歌謡曲史上最も偉大なヒットメーカーとも言われ、そのメロディは誰もが一度は耳にしたことがあるはずです。

現在の日本の歌謡界にも多くの遺伝子が引き継がれています。

ここではそんな筒美京平の気になる家族・息子について?携わったアニソンや噂されるゴーストライターの存在まで調査した!

筒美京平のプロフィール&気になる家族や息子について!

筒美京平プロフィール

まずは筒美京平さんのプロフィールを。

出典 blog-imgs-46-origin.fc2.com

本名      :渡辺 栄吉
生年月日    :1940年5月28日生まれ
出身地     :東京都
血液型     :A型

青山学院大学を卒業後の1963年、日本グラモフォン・レコード株式会社(後のポリドール)に入社し洋楽ディレクターとして4年間務めました。

この洋楽ディレクターとして勤務していた時に色々な海外ヒット曲を聴いてどのようなものが売れるのか肌で感じていたのだそうですよ!

レコード会社勤務時に青山学院大学の先輩である作詞家の橋本淳に誘われたことがきっかけで1966年に作曲家デビュー。

初のヒット作品はヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」(1967年)、60万枚以上の売上だった。

本名と違うその作曲者名ですが、最初は名前を「鼓 響平」にしようと思っていたそうですが、画数が多く見た目が左右対称だと縁起がいいからということで「筒美京平」にしたんだそうです。

その後ヒット曲を連発、後世の作曲家やミュージシャンに大きな影響を与え続けています。

筒美京平の家族・息子は?

筒美京平さんはメディア嫌いで有名、自身が取材やテレビに出ることをとても嫌っているそうです。

これまでほとんどメディアに登場したことがありませんし、プライベートな情報も出回る機会もなく、家族の情報などもほぼ分かっていません。

ですが歌手の平山三紀さんのデビュー曲『ビューティフル・ヨコハマ』という曲の中に

「踊り上手なハルオにゼンタ」

という歌詞があるのですが、この「ゼンタ」というのは筒美京平さんの息子の名前なのだだそうです。

ちなみに「ハルオ」はこの曲を作詞した橋本淳の息子の名前何だそうです。

この『ビューティフル・ヨコハマ』が発売されたのが1970年11月10日なので、筒美さんはそれ以前に結婚し息子さんが産まれていたことになりますね。

そしてゼンタさんはすでに50歳を超えているということになりますね!

というか筒美さんには孫がいてもおかしくないですよね?というかおそらくいるんじゃないかな?と思います(確信)!

筒美京平の代表曲にはアニソンも?

筒美京平さんはこれまで多くの楽曲を生み出し世に出されてきましたがその数およそ3,000曲!!!

もちろんその中でも我々がよく知る曲もたくさんあります。

ポップスからアニソンまでその代表曲を紹介します!

尾崎紀世彦「また逢う日まで」
桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」
小泉今日子「なんてたってアイドル」
近藤真彦「スニーカーぶる~す」
近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」
田原俊彦 「抱きしめてTONIGHT 」
太田裕美「木綿のハンカチーフ」
中山美穂「ツイてるねノッてるね」
松本伊代 「センチメンタル・ジャーニー」
C-C-B 「Romanticが止まらない」
少年隊 「仮面舞踏会」
森高千里 「17歳」
TOKIO 「AMBITIOUS JAPAN! 」
SMAP 「ベストフレンド」

など、ポップス歌手への楽曲提供も多いのですが、ヒット曲はアイドルの曲が多いように思いますね!

珍しい作品としてはロックバンド「銀杏BOYZ」の17才という曲も作曲されています。

そしてアニソンでは

天空の城ラピュタ もしも空を飛べたら
テニスの王子様 E気持
重戦機エルガイム エルガイム-Time for L-GAIM

といった曲が知られています。

歌謡曲に比べアニソンは圧倒的に少なめですね。

昭和の時代は今の時代と違いアニソンは売上があまり立たないため筒美京平さんのような大物作曲家に依頼する事が少なかったのだと思います。

筒美京平にはゴーストライターがいた?

そんな筒美京平さんは曲の制作スピードが早すぎるため、「筒美京平」というゴーストライター集団なのではないか?と言われていたこともあるほど。

一番忙しかったときで、1ヶ月に45曲書いたというエピソードもあります。

しかし作曲はしっかり自身で行なっているのだそう。

やはりそれには筒美さんの幅広く膨大な音楽的バックボーンがあるからだと思います。

  • 幼稚園の頃からクラシックピアノを習ってたこと。
  • 青山学院大学時代にはアルバイトで新橋や銀座のグランドキャバレーでピアノを弾いていたこと。
  • ポリドールでは洋楽担当ディレクターとして多くの海外ポップスを聴いていたこと。
  • 新しい曲、若いアーティストの曲も分け隔てなく聴く。

更に研究熱心であったことなど作曲家としてのいろいろな部分で適性に優れていたのだと思います。

曲を作るにあたってはアメリカのビルボートのチャートに入っていたレコード(CD)を買い込んで聞き込み、日本のメロディーと洋楽のメロディーの融合を考えていたんだそうです。

そういう事もあって一部では”パクリ”疑惑もありましたが、それはリスペクトを込めたオマージュであり進化につながる創造でもあると思います。


”パクリ”って言うと言葉が悪いですが、皆さん筒美さんの凄さはしっかり分かっています!!!

幼い頃からピアノをされていたということから作曲は鍵盤でされているのだと思いますがどのようにして作られているのかとても興味深いですね!?

筒美京平の現在は?

現在も”現役”ではありますが、近年は提供する楽曲の数も減っているようで、ここ数年は年1曲ペース・・・。

そんな筒美京平さんは現在どうしているのでしょうか?

数多くのヒット曲を飛ばし、何もしなくても印税だけで何不自由ない生活を遅れる状況にあるはず。

現在80歳目前ご高齢なのでさすがにお仕事はほぼせず、悠々自適のセカンドライフを送られているのかもしれませんね。

筒美京平の家族・息子は?アニソンなど代表曲やゴーストライターまとめ

天才ヒットメーカー筒美京平さんについて気になることを調査してきました。

生み出してきた曲はこの先も永く愛され続けるような名曲ばかりで本当に驚きですね。

近年は音楽業界の仕組みも変化していることもあって、このような作曲家が出てくることはもうなさそうな気がします。

多くの偉業を残された本当のレジェンドな方ですね。

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